「鬼滅の刃」の漫画、2週目。
1回目はざっとストーリーを追いかけましたが、2回目は人物像や一言々々のセリフを熟読しました。映画と一緒で、衝撃は1回目の方がありますが、細かなところは2回目の方がよくわかります。
193話の見返しのところ著者の独り言的にこんな言葉がありました。
できること、使いこなすこと、
極めることはそれぞれ違います。
繰り返し練習して決まった動作が
”できる”ようになったら、
それをどんな体勢や状況でも
適材適所で出せるようになるのが
”使いこなす”ことです。
さらにその使いこなしている技を
他の誰よりも早く強く、
常に最大限の力で出せるよう
練り上げることが”極める”ことです。
できる→(すごい)→使いこなす→(やばい)→極める
今日も弓道の練習をしたわけですが、弓道でいえば、とりあえず射法八節を理解し、毎回同じ動作で的中を生むことができる…「できる」。
そもそも同じ動作ができないから、中ったり中らなかったりしちゃう。。
射た矢をどんな状況、場面においても的に中てることができるようになる…「使いこなす」
試合や審査などの場面でも緊張することなく平静を保つことができる状態でしょうね。
それ以前に練習の時ですら、「あと1本中ったら皆中じゃん」とか思うと大体外す心の弱さ。。
常に狙ったところに矢を当てることができる…「極める」
弓道をやっていて狙うのは的心。ここに射た矢を全部的中させるとか、継矢(つぎや)といって、的に中った矢の筈に中てること(これは稀にある。わたしはないけど)続ける事ができたら、「極めた」ことになるんでしょう。
ヒノカミ神楽が美しい日の呼吸の舞であるのと同様に、上位者の行射、所作もとても美しく感動します。
わたしなんざ、まだ「できる」とも言えないレベル…((((^^;)。
炭治郎君たちや”柱”の面々の凄さを改めて気づかされました。