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「「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木荘二郎」

「世界のクロサワ」をプロデュースした男 本木荘二郎

鈴木義昭著・山川出版社

この前に「七人の侍 ロケ地の謎を探る」を読んだので、同じ黒澤関連本を。これ、結構前に買ってあったんですけど、ハードカバーで重く電車の中では読みにくいなーと思い積んでありましたが、せっかくの機会なので通勤の時に読みました。

本木壮二郎。わかる人はわかる、わからない人は誰それ?でしょう。
戦前から映画プロデューサーとして活躍、特に黒澤明の初期の映画、「素晴らしき日曜日」から「蜘蛛巣城」まで監督作品30本のうち11本を本木がプロデュースしています。なかでも「羅生門」「生きる」「七人の侍」は黒澤作品の中でも世界中に知られた名作中の名作。
しかし蜘蛛の巣城から黒澤明監督との共同プロデュースとなった以降、制作費の使い込み、私的流用が発覚、本木壮二郎は一切表舞台から姿を消す。脚本家、俳優への費用未払もあった。
お金と女にルーズだったのは事実らしいけど、黒澤明の映画は、常に予算オーバーで、その穴埋めをする為、他作品の制作費を流用していたことも少なからずあったらしい。
古巣の東宝を追われた本木壮二郎は、その頃隆盛を始めた「ピンク映画」の世界で多くの作品を監督する。しかし本木壮二郎の名前は一切使うことはなかった。

本木壮二郎の話は断片的に知っていたのですが、改めて根っからの映画屋だという思いが強くなりました。映画は斜陽の時代となり、テレビが台頭してきた時期にもかかわらず、ピンクであっても監督となって死ぬまで映画を撮り続けた。相変わらず金にはルーズで、亡くなった時、通帳残高は数万円だったとか。

金と女で身を持ち崩していながら、映画だけはつづけた。亡くなった部屋の押し入れには、「羅生門」で受賞したベネチア映画祭金獅子の像(レプリカ)があった。どんなに貧してもこれだけは手放さなかった。

人生はどう転ぶかわからない。
どんなに名声を得てもそれが一生続くわけではない。しかし過去の名声に縋ることなく、好きな映画の世界で生涯を終えたのは、思い描いたものではなかったと思いますが、それでもしあわせだったんじゃないかと思いたいですね。